「もう人混みはたくさんだ」関西から1時間半、週末の旅人たちが鳴門を越えて流れ込む理由――2026年、阿波の素顔が照らす新しい日本の歩き方
おい な は れ 徳島――改札を抜けた先、駅前広場の片隅で地元のおばあちゃんが放ったその一言の柔らかさに、思わず足が止まった。「いらっしゃい」「寄っていきなよ」という飾らない阿波の方言。早朝の羽田からわずか1時間強、あるいは神戸から明石海峡大橋を渡って高速バスに揺られること90分。目の前に広がるのは、見慣れたメガシティの無機質なコンクリートではなく、吉野川の鈍色(にびいろ)の水面と、どこか気風(きっぷ)のいい潮風の匂いだ。
2026年の今、国内旅行の文脈は劇的に変わりつつある。かつてインバウンドで溢れかえり、身動きすら取れなくなった有名古都や巨大テーマパークを尻目に、感度の高い個人旅行者たちがこぞって目指すのは、おい な は れ 徳島のフレーズが象徴するような、生活の手触りがそのまま残る場所だ。過剰なライトアップも、観光客向けに吊り上げられた高額な海鮮丼もない。ここにあるのは、丁寧に引かれた出汁の湯気と、気取らない人々の声だけである。
オーバーツーリズムの対極へ:作られた「非日常」に疲れた大人たちが選ぶ逃避行
京都や箱根の路地裏でキャリーケースを引く観光公害に嫌気がさした人々が、いま静かに四国東部へとなだれ込んでいる。求めているのは、観光パンフレットの表紙のような演出ではない。誰かの日々の営みの隙間に、ほんの少しお邪魔させてもらうようなリアリティだ。
鳴門の渦潮を眺める展望台から少し離れた小さな漁港に立ち寄れば、網を繕う漁師の怒号にも似た威勢のいい笑い声が響く。観光地として着飾ることを放棄しているかのようなその素朴さが、都会のノイズで麻痺した五感を容赦なく叩き起こす。整えられすぎた世界からの脱出先として、この街は驚くほど正しい。
神山町が蒔いた種が芽吹く2026年:ITと藍染めが交錯するクリエイティブの現場
徳島を語る上で、山あいの町・神山町を避けて通ることはできない。IT企業のサテライトオフィス誘致から始まった挑戦は、高専の設立を経て、2026年の現在、完全に独自の生態系を確立した。古民家を改装したコワーキングスペースには、世界中から集まったエンジニアと地元の大工が並んで座り、昼飯のうどんをすすりながら談笑している。
伝統の阿波藍を守る若手職人の工房では、天然灰汁発酵建ての藍壺にスマートフォンを携えたクリエイターたちが通い詰める。古いものと新しいものが互いを排除せず、絶妙なバランスで共存する風景。単なるノスタルジーに逃げ込むのではなく、未来を自分たちの手で耕すたくましさが、街の空気をぴんと張り詰めさせている。
すだちと阿波尾鶏、そして夜明け前の港:舌の上でほどける本物の贅沢
徳島の食は、潔い。小細工なしの素材そのものが持つ力が、旅人の胃袋を掴んで離さない。皿一面を埋め尽くすように絞られる青すだちの鮮烈な酸味。炭火の上でじっくり脂を落としながら香ばしさを増す阿波尾鶏の野性味あふれる弾力。
夜が更ければ、路地裏のラーメン屋に吸い寄せられる。甘辛く煮た豚バラ肉と生卵が乗った濃厚な茶色のスープをすすり、白飯をかきこむ。ミシュランの星をいくつ集めた店よりも、夜風に吹かれながらすするこの一杯のほうが、どれほど心を満たしてくれることか。贅沢の定義が、この場所で音を立てて書き換えられていく。
熱気は8月だけじゃない:日常に溶け込む阿波おどりのリズムと身体性
多くの人が「徳島=真夏の阿波おどり」という固定観念に縛られている。しかし、本質はそこではない。夏の喧騒が去った秋や冬、春先の静まり返った夜でさえ、高架下や公民館からは鉦(かね)と太鼓の音がかすかに漏れ聞こえてくる。
連(れん)と呼ばれる踊りのグループが、次の季節に向けて一年中身体を動かし続けているのだ。通りすがりの旅人であっても、その練習風景を覗き見れば、自然と足先がリズムを刻み始める。「踊る阿呆に見る阿呆」。境界線を軽々と飛び越えさせる熱狂の遺伝子は、季節を問わず、街の血潮として脈々と流れ続けている。
祖谷の秘境とゼロ・ウェイストの上勝:世界基準のエコツーリズムが教える豊かさ
市内を離れ、険しい山道を分け入れば、そこには日本三大秘境のひとつ、祖谷(いや)渓が横たわる。深く切り立ったV字谷にかかるかずら橋。朝霧が立ち込める茅葺き屋根の古民家に腰を下ろすと、聞こえるのは風のざわめきと鳥の羽ばたきだけだ。電波の届かない時間が、これほどまでに贅沢だと誰が想像しただろう。
さらに山を越えれば、ごみゼロを目指す町として世界中から視察が絶えない上勝町が姿を現す。40以上の分別を日常として暮らす町民たちの佇まいには、無理な我慢や環境活動特有の窮屈さがない。自分たちの暮らしを自分たちで選び取るという誇りが、澄んだ空気とともに山里を満たしている。
「通り過ぎる場所」から「留まる街」へ:四国新幹線論争の陰で進むローカルレボリューション
四国新幹線のルート構想やインフラ整備を巡る議論が白熱する2026年だが、徳島の人々はどこ吹く風といった様子で、自分たちの足元を見つめ直している。新幹線が通ろうが通るまいが、ここにある豊かな日常の価値は何も変わらないという確信があるからだ。
高速バスのハブとして関西圏と直結し、週末のたびに訪れる関係人口が着実に増えている。ただの通過点ではなく、一度立ち止まれば二度三度と足を運びたくなる引力。過度な観光地化を拒み、ありのままの生活の美しさを差し出すこの街の姿勢こそが、これからの日本における旅のスタンダードになるに違いない。 (出典: おい な は れ 徳島(Yahoo!ニュース))