宇和島で百年先を生きる味――美食の喧騒を離れ、旅人が「あの暖簾」をくぐる理由【2026年現地ルポ】

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宇和島で百年先を生きる味――美食の喧騒を離れ、旅人が「あの暖簾」をくぐる理由【2026年現地ルポ】
宇和島で百年先を生きる味――美食の喧騒を離れ、旅人が「あの暖簾」をくぐる理由【2026年現地ルポ】
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🎵 宇和島で百年先を生きる味――美食の喧騒を離れ、旅人が「あの暖簾」をくぐる理由【2026年現地ルポ】

ほ づみ 亭の引き戸に手をかけ、少し軋む音とともに暖簾を分けた瞬間、外の喧騒がふっと遠のいた。2026年の今、スマートフォンを開けばアルゴリズムが弾き出した「行くべき店」が無数に並ぶけれど、本当に身体が求める味は、きっとこうした場所にある。愛媛県宇和島市、穏やかな宇和海を背にした路地。醤油と昆布がふわりと焦げたような出汁の匂いが、鼻先をかすめた。遠路はるばる列車を乗り継いでここまで辿り着いた理由を、身体が理屈抜きで悟る。

年季の入った木のカウンターに目を落とすと、板前が手際よく包丁を滑らせている。週末ともなれば全国から美食家や噂を聞きつけた旅人がひっきりなしに訪れるほ づみ 亭だが、そこには観光地特有の軽薄な空気はまるでない。あるのは、この南予(なんよ)の海と山が育んだ生命を、何代にもわたって受け継がれてきた所作で皿へと手渡す、誠実な日常の風景だけだ。

宇和島鯛めしの「原点」が語りかけるもの

卓上に運ばれてきた膳を見て、思わず息を呑む。愛媛の鯛めしには二つの潮流がある。東予・中予のように鯛を米とともに炊き込む文化と、南予・宇和島のように生の真鯛を出汁と生卵に絡めて熱々の飯にかける文化だ。ここでの主役はもちろん後者である。

透明感のある切り身は、角がピンと立ち、朝獲れの張りを宿している。秘伝のタレに生卵を溶き、刻み海苔と胡麻、薬味とともに鯛をくぐらせる。それをそのまま、炊きたての白飯へ豪快に滑り込ませるのだ。かきこむ。濃厚な黄身のコク、甘辛い出汁の深み、そして何より噛むほどに甘みを増す鯛の弾力。派手な演出など何もない。だが、一口ごとに舌が目覚めていく感覚がある。漁師たちが船上で波に揺られながら生み出したというこの一杯は、効率を重んじる現代の調理法では決して辿り着けない、原初的な美味に満ちている。

アルゴリズムには決して再現できない、南予の「手仕事」

名物は鯛めしだけにとどまらない。むしろ、この店の底知れぬ凄みを感じさせるのは、脇を固める郷土料理の小鉢たちだ。

例えば「ふくめん」。白身魚のそぼろを四色に染め分け、細切りにしたこんにゃくの上に美しく敷き詰めた宇和島の伝統料理である。目にも鮮やかな紅白と緑、黄の幾何学模様は、宴席を彩ってきた城下町の美意識そのものだ。崩すのが惜しいと感じつつ箸を入れ、口に運べば、素朴で優しい出汁の風味がじんわりと広がる。あるいは、焼き魚の身をすり鉢で丁寧に擂り潰し、麦味噌と出汁を合わせた「さつま飯」。どれも仕込みに気が遠くなるような手間がかかる。AIがどれほど進化し、厨房の自動化が進む2026年であっても、人の手でしか醸せない「味の揺らぎ」がここには確かに残っている。

2026年の旅人が求める「情報の断捨離」とリアルな質感

なぜ今、多くの人々がこれほどまでに宇和島へ惹きつけられるのか。東京や大阪から新幹線と特急を乗り継ぎ、数時間を費やして訪れる価値とは何か。

それは、過剰な情報社会に対する一種のデトックスではないだろうか。「映え」を狙った奇抜な盛り付けや、SNSでのバズを前提に作られた料理に、私たちは少なからず疲弊している。舌の上で溶けるだけの極端な脂や、人工的なうま味調味料のパンチではなく、土地に根ざした文脈を丸ごと味わいたい。そんな真っ当な飢えを抱えた旅人にとって、この場所は最後の砦のように映るのだ。

暖簾の奥に息づく、宇和島の日常と市場の鼓動

「今日はいいハギが入ったよ」

給仕の女性が、飾り気のない笑顔で小上がりの常連客に声をかける。隣の席では、地元の古老が冷酒を傾けながら、宇和海で獲れたばかりの小魚のじゃこ天を千切っている。揚げたてのじゃこ天から立ち上る、皮や小骨ごと擂り潰した青魚の力強い香り。観光客と地元住民が同じ空間で肩を寄せ合い、同じ皿に舌鼓を打つ。この境界線の曖昧さこそが心地よい。

店を出ればすぐそこに宇和島城の山影が横たわり、港からは潮の香りが吹き抜けていく。市場の仕入れと家庭の台所、そして割烹の粋が途切れずにつながっている街。その生態系の心臓部に、この店はずっと座り続けている。

地方創生の最前線で見せた「変わらないこと」の凄み

地方都市の過疎化や飲食店の後継者不足が叫ばれて久しい。だが、宇和島の食文化を牽引してきた現場の熱量は、外野の懸念を軽々と吹き飛ばす。

奇抜なイノベーションを追うのではなく、代々引き継がれてきた出汁の配合を守り、港の目利きと信頼関係を保ち、毎日丁寧に魚を捌く。時代に合わせて変えるべき細部を柔軟にアップデートしながらも、芯にある美学は絶対に譲らない。これこそが、変化の激しい2026年において最もラディカルで、最も持続可能な「革新」ではないか。皿の上の真鯛の白身が、そんな無言のメッセージを伝えてくる。

わざわざ宇和島へ赴く価値――旅の終着点で出会う一杯

膳を平らげ、お茶を啜る。胃袋だけでなく、頭の先までじんわりと温かい充足感に満たされていくのを感じる。贅沢とは、単に高価な食材を並べることではない。その土地の土と水、太陽と海が育てた食材を、正しい知恵と技術で調理し、気取らない器でいただくことだ。

会計を済ませて外に出ると、宇和島の夜風が火照った頬を撫でた。駅へ向かう足取りは、来たときよりもずっと軽い。次に来るときは、季節を変えて秋の太刀魚か、それとも冬の鍋か。そんな算段を早くも始めている自分に気づき、思わず口元が緩んだ。記憶の奥底に刻まれる味に出会うための旅は、やはり現地へ足を運ぶことでしか完成しない。 (出典: ほ づみ 亭(Yahoo!ニュース)

ほ づみ 亭
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