油揚げと串カツが呼ぶ熱気――2026年、なぜ不夜城の「千代保稲荷」に若き起業家たちが押し寄せるのか
千代 保 稲荷の門前へ一歩足を踏み入れた瞬間、八丁味噌の焦げる香ばしい匂いと、激しく爆ぜる揚げ油の煙が容赦なく鼻腔を突く。境内に向かって延びる細い参道は、平日昼間であっても肩と肩がぶつかり合うほどの人口密度だ。行き交う参拝者の手にあるのは、カメラやスマートフォンではない。藁紐(わらひも)で括られた三角の油揚げと、赤白の小さなローソク。岐阜県海津市平田町。見渡す限りの田園風景を背負いながら、この一角だけが異様な熱気に包まれている。地元で「お千代保(ちょぼ)さん」の愛称で呼ばれるこの場所は、格式張った静寂を尊ぶ一般的な神社とはまるで違う。商売の泥臭さと人情がむき出しになった、生々しい祈りの現場がそこにある。
名古屋から車を走らせて小一時間、木曽三川が育んだ肥沃な輪中地帯にたたずむ千代 保 稲荷は、京都の伏見や愛知の豊川と並ぶ稲荷信仰の拠点に数えられながら、お札もお守りも授与しない潔い方針を創業以来貫いている。出迎えるのは、声を張り上げる漬物屋の店主たちと、湯気を吹き上げる大鍋の群れ。伝統的な神社が時代の変化に伴って厳かなプロモーションへとシフトするなか、なぜこの場所だけが昭和の混沌を色濃く残したまま、人を狂わせる引力を放ち続けているのか。2026年の今、この熱源の正体を確かめるべく参道へ分け入った。
藁に通した油揚げと50円の祈り――賽銭箱を置かない神前で起きていること
参拝の作法からして独特だ。参道入口の売店で、参拝者はまず50円玉を手渡し、一本の藁に通された油揚げとローソクを受け取る。これが神仏への最初の手土産になる。
灯明場にローソクを立て、炎を揺らめかせた後、拝殿へと進む。ここには一般的な賽銭箱が見当たらない。代わりに設けられた台の上に、先ほど買い求めた油揚げを次々と奉納していくのだ。山のように積まれた油揚げの脇から、参拝者たちは思い思いに小銭を、時には名刺を挟み込んだ紙幣を石段めがけて投げ入れる。ちゃりんと乾いた金属音が石畳に響く。賽銭箱という「受け皿」を介さず、神の御前へ直接願いを投じる生々しさが、ここには充満している。
午前2時の狂騒曲「月越し参り」――眠らない門前町が放つ熱量
お千代保さんの真骨頂を味わうなら、毎月末から翌月1日にかけて催される「月越し参り」を逃す手はない。
日付が変わる頃、参道は昼間以上の狂乱状態に突入する。参道に連なる百数十軒の店が軒並みシャッターを開け放ち、煌々と提灯を灯す。夜風に乗って漂うモツの脂の匂い。日付を跨いだ午前2時を過ぎても、境内へ続く列は途切れない。自営業者、企業経営者、水商売のスタッフ、そして近年急増したフリーランスの若者たちが、眠い目をこすりながら前月の無事を感謝し、来る月の商売繁盛を誓い合う。暗闇の中に浮かぶ黄色い提灯の光列は、まるで現世と異界の境目が曖昧になったかのような幻惑的な光景を描き出す。
立ち食い串カツと金ピカの衝撃――胃袋から商売繁盛を掴む食文化
参拝を終えた人々が吸い込まれるように向かうのが、名物の串カツ屋だ。
ひときわ異彩を放つ「玉家」の前には、昼夜を問わず黒山の人だかりができている。店内外を埋め尽くす金箔の装飾。全身ゴールドの衣装に身を包んだ名物社長の姿を見上げつつ、客たちは店先の熱い大鍋の周りに群がり、立ったまま串カツを頬張る。揚げたての串を、沸き立つどて煮の赤味噌ダレにドボンとくぐらせる。ハフハフと息を吐きながら衣を噛み砕けば、濃厚な味噌のコクと豚肉の脂が口いっぱいに広がる。何本食べたかは、手元の竹串の数で自己申告する昔ながらのスタイル。計算し尽くされたスマートな飲食体験とは正反対の、人間味溢れるやり取りがそこかしこで交わされている。
「現金の生々しさ」と2026年のキャッシュレスが交錯する境界線
完全キャッシュレス化が社会の隅々まで行き渡った2026年にあっても、お千代保さんの参道には硬貨の重みが確かに残る。
もちろん、店頭にはQRコード決済のスタンドが整然と並び、スマホひとつで串カツの会計を済ませる光景も日常になった。それでも、油揚げを買う50円玉や、拝殿に投げ込む硬貨だけは、誰もが財布から大事そうに取り出す。物質としての通貨を手放し、神仏へ投じる行為そのものが、ある種の精神的なデトックスとして機能しているかのようだ。効率と利便性を突き詰めた現代社会において、手触りのある「商売の原点」を再確認できる避難所として、この参道は機能している。
なぜ今、デジタルネイティブの若手起業家たちがここを目指すのか
客層の変化も如実だ。かつては東海地方の中小企業主や商店街の店主が中心だった参拝客の中に、近年は20代から30代前半のIT系起業家やクリエイターの姿が目立つ。
画面越しに数字を動かし、AIツールを駆使してリモートでビジネスを完結させる世代ほど、お千代保さんの放つ強烈なフィジカル感に引き寄せられている。不確実性の高いマーケットで戦う彼らにとって、泥臭く煮込まれた味噌の匂いや、額に汗して串を揚げる職人の姿、そして賽銭が飛び交う熱狂は、地に足のついた実体経済の手触りを思い出させる装置なのかもしれない。目に見えないアルゴリズムに疲弊した心を、土着の信仰がそっと受け止めている。
レトロ消費を超えた「泥臭いパワースポット」としての未来
単なるノスタルジーで片付けるには、この町の生命力はあまりに強靭だ。
古い町並みを小奇麗に整備したテーマパーク型の観光地とは異なり、千代保稲荷の門前町は今も商売人たちの生存競争が続く生きた市場である。川魚の甘露煮を売る老舗の隣で、地元産の素材を使った新しいスイーツショップが暖簾を掲げる。新旧が混ざり合いながらも、根底にある「商売への執着」と「生きるたくましさ」は微塵もブレていない。2026年というデジタル全盛の時代だからこそ、むき出しの欲望と祈りが同居するこの小さな町が放つ熱量は、訪れる者の胸を熱く焦がし続けている。 (出典: 千代 保 稲荷(Yahoo!ニュース))